mardi 11 mai 2010

気はくとゆとり

今日はMichel Petrucciani の枯れ葉をコピー。
感じるのは、大きな、半端ないペトルチアーニのエネルギー。
もう一緒にひくとその大きさに、ただただ驚く。

そして横山大観のことばを思い出す。

芸術家に強烈な気はくがそなわっていなければなりません。人格の裏にこの気はくをそなえることが必要なのです。

含蓄ある作品とは、表現された画面にゆとりのあることである。

多分、わたしが感じるこのとてつもないエネルギーは気はく。
そして彼の高い演奏技術は決して精一杯ではなく、余裕があり、それらはまるで遊びのように、ユーモアにも聴こえる。

ペトルチアーニの大きな気はくと余裕に触れ、ただただ愕然とし、自分に不安を感じてしまう、自分に疑いを感じてしまう日々だけれど、やっぱり信じようと決意し練習する。
そして、時々送られてくる他国に住む知らない人からの突然のメッセージに支えられる。
未だに、Mezzo(欧州の有料衛生チャンネル)で私たちトリオの演奏が流れているらしい。

明日もペトルチアーニの枯れ葉、楽しみ。



Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire